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初学者のための陰陽虚実 虚実補瀉 内田良治の経絡治療概論

 経絡治療基礎講座

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 佐藤忠彰の [経絡治療基礎講座]

 
「初学者のための陰陽虚実」     
                      ・・・偶然に期待しないはり治療をもとめて 

初学者の人に陰陽虚実を啓蒙しようと思っているわけではありません。脈診を行うにあたって、その中には、学生さんや古典を学び始めたばかりの方も多くいらっしゃると思います。
そのような人のために、少し陰陽虚実の雰囲気を知っていただこうと思います。私なりの少ない経験の中で、古典を学び始めて感じる、古典治療の難しさや有用性と将来性そして、面白さを知っていただきたいと思います。


1、 全然解んない陰陽論 

◆ 世間にない考え方

1つにはこの陰陽論は世間にない考え方ということです。全く無いと言うわけではないのですが、殆ど一般的ではありません。古典の鍼治療をしていたり、学校で漢方概論を習っている私たちは、いつの間にか世間の人もこのぐらい知っているだろうと思い込んで陰陽虚実を考えているところがあります。

確かに最近、陰陽道や風水などで陰陽論や五行説を、よく聞くようになりました。私の周りでも、知り合いや患者さんなどから話を聞くことも多いです。
しかし、実際はその内容はひどいものです。「陰は悪いもの、陽は良いもの。」とか「実」は充実していることでとても良いことなどです。世間には、陰陽や虚実が、プラス・マイナスや善・悪のようなイメージしか捉えられていないのです。

私たち陰陽論をかじったものは、陰陽のどちらが悪で、虚実のどちらが良いことなんては考えなくなってきています。これが世間との認識の差です。


◆ 陰陽の矛盾運動

さらに理解しにくい陰陽論としては、陰陽の対立運動と、統合・統一運動があります。対立運動では、相対する存在としての陰陽が、お互いに制約しあうかたちです。例えば、寒が熱を抑えたり実が虚を満たしたりというかたちで、お互いに制約しあいます。

統一運動とは、陰が陽へ、陽が陰へ向かう運動です。
『素問』:陰陽応象大論篇では、「清陽は天と為り、濁陰は地となる。地気は上りて雲と為り、天気は下りて雨となる。」とあります。陰の地気は上って陽に近づき、陽の天気は下って陰に近づくかたちです。このように、陰陽の統一運動によって万物の生成と変化をもたらしております。

このように陰陽は、対立・統一という矛盾する運動をもっています。このことが陰陽論をさらにわかりにくくしているところです。

◆ 陰陽虚実

これ自体もわからないものの一つです。実に抽象的な表現です。陰陽虚実は何を現しているのでしょうか?

八綱弁証では、八綱を陰陽・虚実・表裏・寒熱でいい、陰陽はその代表とされています。実際では、この陰陽や虚実が何を指しているのか。
臨床では陰陽とは病気の性質または位置、虚実はその勢いとなることが多いです。


2、 学び始めてからも苦しむ陰陽論

さて、古典治療を目指し学び始めても、この陰陽論には悩まされ、苦しめられます。それは、はっきりしている様で、はっきりしていない陰陽の姿があります。

まず、学び始めてからも苦しむ陰陽論の一つとして、かわる陰陽があります。いつの間にか、陰陽がひっくり返るのです。陰陽論は相対的ですので、立場によって陰陽が全く反対になったりします。

陰陽論では一般に「北を陰、南を陽」とします。このことから実際に中国では地名に陰陽が付く場合、山の北側を陰、南側を陽とします。しかし、これが河になると反対になってしまいます。河の場合は、北側を陽、南側を陰とします。このように陰陽がひっくり返ってしまいます。これは立場によって陰陽が変わる例です。
陰陽を見極めることは、そのものをよく観察することだけではなく、どの立場でそれを見るかということです。陰陽論をしっかり把握しているつもりでも、今どの立場か、どの視点かをしっかりは把握しないと、陰陽虚実を間違ってしまいます。

その他にあいまいな陰陽の性質があります。立場によって陰陽が変わるのは、先ほどもお話しましたが、陰陽の基準も、実はかわります。例えば、『素問』:金匱真言論篇では「それ人の陰陽をいえば、外を陽と為し内を陰と為す。人身の陰陽をいえば、背を陽となし、腹を陰と為す。・・・」とあります。ここでは、外は陽、内は陰 背は陽、腹は陰としています。
同じ陰陽のことを、『老子』では、「万物は陰を負いて、陽を抱く」とあります。これは、背は陰、腹は陽とする一文です。つまり陰陽の基準も一定ではないということです。見方・考えによって、陰と陽は変化することを意味します。
陰陽は、単に学ぶだけではなく、自分でしっかり基準も作ることで、臨床で使っていけることになるのです。


3、 それでも使う陰陽虚実

これまで陰陽虚実のダメ出しばかりしてきましたが、難しいばかりの陰陽虚実だけではなく、とても有効で実際的だということも知っていただこうと思います。

それは、陰陽にわけて全体を考えるという比較的容易な理論構築のしかたと、相対する二元論であるゆえの検証のしやすさがあります。


◆ 古典治療に科学性を求めて

さて、「古典治療に科学性を求めて」ということをおそらく臨床にいる方はどなたでも少しは考えたことはあるでしょう。その意味でも、私たちの研究会は、副題にもした「偶然に期待しないはり治療を」考え、行っています。偶然に期待しないとは、どのようなことでしょうか。

一つには論理性、もう一つには再現性です。その治療によって意図した結果を出すことができるということ、それが論理性のある治療といえます。ある条件のもとで、同じ治療をしたら、同じ結果がでる。意図的に結果が出る。できれば治癒するとか、改善とか、そのようなことです。

臨床においては、意図した方向に結果を持っていけること、正しくは意図した結果に持っていく手立て・手段を持っていることです。そして、それらが自分の中にあることが大事なことです。

私たち鍼師は、目に見えるものを売ることは出来ません。パン屋やクリーニング屋さんのようにはっきりわかる品物やサービスを提供しているわけでもありません。お客さんに喜んでもらえるからという理由で、パン屋さんが電家製品を売ったり、クリーニング屋さんが髪の毛を切ったりするわけではないのです。

私たち鍼師も、偶然に出来た患者さんが喜んでくれるというだけの理由で、自分ではなんだかよくわからない治療結果ではなく、「パン屋が作ったパン」のような、自信を持って売ることのできる治療結果をもつことが必要です。
それが「偶然でない治療結果」、「意図した治療結果」ということになります。


◆ 科学性って?

さて、科学性って何でしょうか。科学の定義としては、一般的には「実験によって検証できなくてはならない。」とあります。つまり決まった条件下で、再現できることです。論理的に予測ができたり、正しいといえるだけでなく、再現できるということです。
科学哲学者カール・ポパーは科学の定義を「実験によって反証できなければならない」としています。検証ができ、再現ができることが、科学性のある古典治療、そして「偶然に期待しないはり治療」といえるのです。


◆ フィードバックと検証

脈診は、フィードバックができる治療です。行った治療がちゃんと目的を果たしたかどうか検証できるということです。いわゆる阿是穴治療や特効穴治療を行っている場合の(私は、ボタン治療といっていますが)、刺したら効くという治療にはない考えです。
そのような治療では、検証・フィードバックはどのようにしているのでしょうか。
効かなかったら先輩に聞いてみて、刺し方が悪かったとか、ツボがちょっとずれていたとかなど、そんなことが理由になってしまうフィードバックではいけないのです。

脈診でいえば、思った方向に脈が変わっていなければ、修正する、治療が上手くいかなかったら、証の立て方、治療方法を検証する、ということができます。
例えば、沈脈だったら、もう少し浮にしてあげたい。治療してまた脈を診たら、あまり沈が変わっていなかった。このように即結果をフィードバックできるわけです。そして、その方法で良かったか検証もできるわけです。

論理的であり再現性があること、つまり科学的であることは、予測や検証ができるということです。このことは治療を学ぶ上でも実に有効なことです。

ボタン治療のように自分で検証できないのでは、なかなか身に付かないものです。



4、 表現と治療

◆ 脈の陰陽虚実

実際には脈では、陰陽虚実はどう扱われているかというと、「陰虚陽実」か「陽虚陰実」という形です。陽実には必ず裏に陰虚があり、陰実の裏には陽虚があるということで、このような表現が成り立ちます。

では、治療はどのようにしたら良いのでしょうか。この場合、陰虚陽実では、陰を補するのでしょうか?陽を瀉するのでしょうか?

脈の表現では陰虚陽実でも、実体としては陽実があっての陰虚陽実と、陰虚があっての陰虚陽盛の2つになります。陰陽論に基づいて考えると、陰虚陽実の場合、陽実があってその裏に陰虚の表現があるということです。陰虚陽盛の場合は陰虚があって相対的に陽が盛んで実しているように見えるということです。
表現が同じように見えても、その実体は異なり、したがって治療手順も異なります。

このように臨床においても見誤りやすい陰陽虚実ですが、陰陽論ゆえの良い部分もあります。それは陰があればその反対に陽があり、虚があればその反対に必ず実がありという推測しやすい面です。このことが、予測、検証、そして反証という科学的方法にもつながっていきます。


5、 学生や初学者の方々のために


ここまで、前半で、古典治療の一般的でないことという特殊性を述べ、そして学び始めても、その考え方は間違った方向に行きやすいことを言ってきました。さらに後半では、そういった特殊な考え・治療であっても、科学性としての論理性・再現性があり、治療上で大切なフィードバックや検証の方法があり、とても有効であるということを述べました。

このように古典治療は有意義で魅力ある治療です。しかし、繰り返しますが、一般的でもなく、そして間違って理解しやすい治療方法です。その良い部分悪い部分を充分に理解し、肝に銘じてください。

脈診は決して神秘的な治療ではありません。あなたのそばにある、あなたの理解できる治療です。ただ、ちょっと気づきにくいだけなのかもしれません。


2007.12.19 (C)学務 佐藤忠彰   





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『虚実補瀉』            

● 「黄帝、虚実を問う。」

虚実とは正邪の盛衰をさして言ったものである。『素問:通評虚実論篇』の中で黄帝は虚実を問うている。

「黄帝問いて曰く、何をか虚実と謂う。岐伯対えて曰く、邪気盛んなれば則ち実なり。精気奪われるは則ち虚なり。」

ゆえに虚症とは正気の虚弱をさしたものであり、実証とは邪気の亢盛をさしたものである。−(1)

● 不足を補い、有余を瀉す

はり治療は、この虚と実を補瀉することである。

『素問:調経論篇』では、「黄帝問うて曰く、余聞くならく刺法にいう、有余はこれを瀉し、不足はこれを補う、と。」とあり、『素問:三部九候論篇』では、「・・・、以ってその気の虚実を調う。実すれば則ちこれを瀉し、虚すれば則ちこれを補う。・・・」とある。−(2) 有余の実を瀉し、不足の虚を補うことが原則となっている。 

● 「手法の補瀉」と「虚実の補瀉」

さて、補瀉には「手法の補瀉」と「虚実の補瀉」等々がある。

「手法の補瀉」には、呼吸の補瀉、迎随の補瀉、提按・開闔の補瀉、弾爪の補瀉、出入の補瀉等がある。これらは気血における「虚実の補瀉」に都合のいい刺法の手法ということである。先述したとおり、はり治療とは虚実の補瀉である。

つまり手法の補瀉を行っても、実際に気血の虚実が改善してなければ、治療にはならない。

はりを行うものは「手法の補瀉」と「虚実の補瀉」を区別することが必要である。

●はりの瀉法・補法

はりの補瀉とはどのようなものだろうか。はりの瀉法とは、邪気盛んなる実の余りあるものを取り除くことである。

つまり、はりによって出ることのできない、いらない気をもらすことである。では、はりの補法とは。はりは薬湯や灸のように直接気血を補うことはできない。

前述の『素問:通評虚実論篇』のように「精気奪われる」のが虚である。奪われている状態も虚であるといえる。この「奪われている」いう正気のもれの状態を止めることも補法といえる。

このようなことから、一つの形態として、はりの瀉法・補法とは、気をもらしたり、もれを止めたりすることとも言える。

● はりの仕事って

『難経:四十八難』に「人に三虚三実あり、何の謂ぞや。」とあり、脈の虚実、病の虚実、診察の虚実の三つの虚実のあり方を述べている。

脈の虚実は脈象の強弱によって、気血の盛衰、邪気の強弱を知り、病の虚実で、病の緩急(慢性・急性)出入(外感・内傷)などを別け、診察の虚実で触診の手ごたえ、患者の症状を整理している。

これは同じ「虚実」という言葉を使っているが、その示すところは違っている。気血の盛衰と病の虚実が別けられていることは注目すべきである。

私たち、はりを行うものは不足の正気を補い、余りある邪気をもらすことが仕事です。

つまり脈の虚実によって治療を行ない、病の虚実でその全体的な病状や生体の状態を知ることになる。

このようにはりの仕事は気血の調整であって、病の治療はその結果として得られるものである。

私たちは、そのはりのできる仕事を知り、虚実・補瀉の区別をふまえることが大切である。


2007.7.29 (C)学務 佐藤忠彰   



参考文献1





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